2010年05月06日
連休は お墓散策で過ごしました。(1)
連休は里帰り
40代で亡くなった友人の墓に参った。
左右津君と言って陶芸家の良い奴だった。
左右津(ソウズ)と読みます。
ふと墓石の横の碑文を見たら
36代 〇〇〇〇 とか彫ってある。
左右津家は由緒正しい家柄らしい。
苗字と〇〇代に興味がわき、ここの墓場全体を
回ってみようと思い立ちました。
先ず苗字(私の基準で珍しいと思う名前)
木安 明瀬 枝根 戸井 丹分 露無 間 加川
向後 後山 居出上 三宅川 尼田 白鞘
経塚 仲小路 丹治 俵屋 斧 秦野 井門
北須賀 赤根 坂當 十亀
とまあ聞き慣れない苗字があるもんですねえ。
次に 〇〇代 もそこそこ見受けられます。
初代から30数代まで
分家したらそれからが初代なんでしょうかねえ。
お墓の形も色々あって、これはこれで変化に富んでいました。
写真を撮りたかったのですが、少し抵抗と勝手に撮る事
への後ろめたさが有って取れませんでした。
私の家の家紋は 丸に蔦 なんですが
私と同じ姓のお墓の家紋を見ても、どれ一つとして
同じでは無かったですねえ。同じ姓なのに・・
さて次にお墓の正面に彫られている文字は
〇〇△△之墓(個人名)
〇〇△△夫婦之墓
〇〇家
〇〇家之墓
〇〇家之墳
〇〇家累代之墓
〇〇家累代之奥津城(奥津城って?)
〇〇家累代之霊位
空(これだけしか書いていない)
キリスト教の方のお墓は 日本伝統の家紋と
十字架が彫って有りました。
裏側に 神は愛である とかも彫ってます。
散策していたら 2007年ミャンマーで殉職した
報道カメラマンの 長井健司さんのお墓に出会いました

立派なかたですねえ。
世界に悲惨な状況を訴え続け命を落とした同郷の
人がいたなんて、不勉強で知りませんでした。
ちなみに手元のカメラも石で出来てます。
次は軍人墓地を書いてみようと思います。
40代で亡くなった友人の墓に参った。
左右津君と言って陶芸家の良い奴だった。
左右津(ソウズ)と読みます。
ふと墓石の横の碑文を見たら
36代 〇〇〇〇 とか彫ってある。
左右津家は由緒正しい家柄らしい。
苗字と〇〇代に興味がわき、ここの墓場全体を
回ってみようと思い立ちました。
先ず苗字(私の基準で珍しいと思う名前)
木安 明瀬 枝根 戸井 丹分 露無 間 加川
向後 後山 居出上 三宅川 尼田 白鞘
経塚 仲小路 丹治 俵屋 斧 秦野 井門
北須賀 赤根 坂當 十亀
とまあ聞き慣れない苗字があるもんですねえ。

次に 〇〇代 もそこそこ見受けられます。
初代から30数代まで
分家したらそれからが初代なんでしょうかねえ。
お墓の形も色々あって、これはこれで変化に富んでいました。
写真を撮りたかったのですが、少し抵抗と勝手に撮る事
への後ろめたさが有って取れませんでした。
私の家の家紋は 丸に蔦 なんですが
私と同じ姓のお墓の家紋を見ても、どれ一つとして
同じでは無かったですねえ。同じ姓なのに・・
さて次にお墓の正面に彫られている文字は
〇〇△△之墓(個人名)
〇〇△△夫婦之墓
〇〇家
〇〇家之墓
〇〇家之墳
〇〇家累代之墓
〇〇家累代之奥津城(奥津城って?)
〇〇家累代之霊位
空(これだけしか書いていない)
キリスト教の方のお墓は 日本伝統の家紋と
十字架が彫って有りました。
裏側に 神は愛である とかも彫ってます。
散策していたら 2007年ミャンマーで殉職した
報道カメラマンの 長井健司さんのお墓に出会いました

立派なかたですねえ。
世界に悲惨な状況を訴え続け命を落とした同郷の
人がいたなんて、不勉強で知りませんでした。
ちなみに手元のカメラも石で出来てます。
次は軍人墓地を書いてみようと思います。
Posted by ロマンスグレーBon at
20:53
│Comments(0)